大皿を得意とする古武雄の口径が50㎝を超える皿。白い土を用いた白や褐色、緑色の釉薬を用いた独自の華やかさ。末や竹などの自然や鳥を描いた伸びやかな絵から、細かな象嵌まで。刷毛や筆、型紙。時には手びねりのものを貼り付ける。さまざまな方法で作り出される古武雄の魅力や特徴を紹介!!
今回は、
めちゃめちゃ遅くなりましたが笑
2018年10月6日~11月25日まで行われていた、
「古武雄ーふるさと大地の記憶」を見に行ってきましたので、
唐津焼と絡めたりしてみながら書いていこうと思います!

白は、
武雄で採取される白い土。
白い土を化粧土として刷毛で塗り、
その上にさまざまな文様が描かれます。
緑は、
銅を用いた釉薬によって生み出される、
鮮やかな青緑色です。
これによって、
それまでの鉄絵とは異なる華やかな色彩が生まれ、
「二彩唐津(にさいがらつ)」と呼ばれました。

この鮮やかな緑色で、
松や花、山や鳥など、
自然のものがのびのびと描かれ、
自然の力強さを感じられます。
古武雄を見ると、
当時の陶工の方々の新しい表現を探した様子、
日々試行錯誤されていた様子が感じられます。
日本国内だけでなく、
海外にも輸出された古武雄。
特徴や魅力、独特な技法など。
ここから少し細かく書いていきます!

時は江戸時代。
日本では、口径が30㎝(当時の約1尺)を超えるような、
大きな皿の需要が高まり、
それまでの日本の陶磁器では作られてこなかったような、
大皿が製作されます。

これは、
大皿を大人数で囲み、取り分けて食事をする、
「宴(うたげ)」の文化の定着です。
武雄は、
大皿製品を得意としていて、
それらの大皿に、
さまざまな釉薬や白土。
この後に書きます「象嵌・刷毛目」などの、
さまざまな技法が使用されます。


緑釉(りょくゆう)と呼ばれる、
緑色の発色をする釉薬。
これは、
国内陶磁の歴史では、奈良三彩に始まりますが、
部分的に使われていました。
現在みられるような、
緑釉を使った本格的な釉彩は、
17世紀の初めの織部に始まります。
※現在は、古武雄よりもわずかに早くでき始めたと考えられています
ですが、
織部と古武雄はかなり緑釉の使い方が違います。
濃淡をつけたり、柄杓(ひしゃく)で大胆にかけたり。
刷毛目との組み合わせで。

器も織部は変形鉢に、
古武雄は大きな皿や壺など。
それぞれ緑釉の使い方でも、
違って、特徴的です!
古武雄では、
緑褐釉(りょくかつゆう)や緑褐彩(りょくかっさい)。
これらは、
互いに褐色と緑色の対比が印象的!

この二色の色使いから
「二彩手(にさいで)」と呼ばれます。

ここに、
白い化粧土が加わり、
より鮮やかに引き立ちます!
「二彩手」や描かれる文様を、
より鮮やかに引き立たせる、白い化粧土(けしょうど)。

古武雄の胎土となる土は、
褐色の暗い色調。
そのため、
表明を白い化粧土と呼ばれる土で覆い、
器に描かれる絵や文様を引き立たせる下地が作られます。

象嵌(ぞうがん)・三島
象嵌・三島とは、
成形した後、生地が柔らかいうちに、
型で表面に凹凸をつけて、
溝を白い化粧土で埋めることで、
文様をつける技法です。

印花(いんか)と言われる技法は、
同様の技法で凹凸をつけて、
文様にする技法です。
朝鮮半島の陶磁器で広がった象嵌は、
日本の茶の湯に取り入れられ、珍重されました。
茶会記においては「みしま」「こよみ」として登場します。
※三島と呼ばれた由来は、三島(静岡県三島市大宮)の河合家が
発行する暦(三島暦)と象嵌模様が似ていることからそう呼ばれるようになったと言われています

当時から、
茶道具にふさわしいとされていたため、
九州各地の窯元では、
朝鮮のやきものの象嵌技法を応用した、
やきものが作られるようになります。
象嵌の文様は、
「唐草」「渦巻」「鶴」などもあり、
これらの文様は、朝鮮半島のものとは異なります!

これは当時の、
茶の湯の需要や茶人の好みに対応していったと考えられます。
また、
肥前陶器の象嵌模様の中で代表的なものは、
「鶴文(つるもん)」です!!

鶴の細かい部分まで、
鉄絵の具や呉須(ごす)で表現されています!
※呉須:やきものの染付に使う顔料
鶴が向かい合った「双鶴文(そうかくもん)」が定番。
ハンコを押したくぼみに、白い化粧土を。
そうすることで、
取の姿を表現します。

飛んでいる、または自然の中で遊んでいる。
そんな、
絵画のような表現も見ることが出来ます。
こちらの記事の目次、三島唐津から三島技法のことを書いてます!
唐津焼~種類と特徴~
やきもの本体と同じ土を使って、
型押しや手捻り(てびねり)で文様を作って、
それをやきものに貼り付けて文様にする技法です。
肥前陶器の中では、
甕(かめ)の肩の部分に施されたものがあり、
磁器にも使われた技法です。

また、
貼り付けた文様のみに、
白い化粧土をつけたものもあり、
特別な器の装飾に使われていたと考えられています。
白い化粧土を素地(器の本体)に盛り付けたもので、

「打刷毛目」が
規則的な連続した模様であるのに対して、
不規則で複雑な凹凸が特徴です!
白泥には、
貼り付けた貝の装飾や、
鉄絵緑彩の緑色で山並みを表現、
褐釉や緑釉を使って装飾したものなど、
自由で自然的な魅力があります!!

16世紀の末から17世紀初頭に始まったとされ、
鉄絵を用いたやきものが生み出されている。
当時は、
古唐津と言われるものであり、
現在、古武雄と呼ばれるものの特徴はもっていません。
その後、
白化粧土や緑釉といった特徴が表れるようになってきます。
また、
古伊万里と古武雄のかかわりも深く、
呉須の使用は、古伊万里とのつながりを感じられます。
古武雄・古伊万里ともに、
大皿の高台の直径が小さいところが共通しています。
これは、
古唐津の大皿から受け継がれたものと言えます。
古武雄を見て、
結構独特なインパクトを感じて、
すごく印象的なやきものをたくさん見ることが出来ました!

結構長時間いて、
とても楽しかったです笑
また、
現在、古武雄と言われるものも、
唐津焼からの流れがあって、
古伊万里と兄弟のような関係。
そう考えると、
現在は、〇〇焼というような名前で区別されていますが、
大きな大きな歴史の流れの中で、
技術や人、思いや思考、努力。
そのようなものが、
独自の変化のきっかけになっていて、
そこに、
伝わった先の地域の特色や、
自然の環境、土。
そのような、
関わり合いの中で変化していますが、
流れの中でつながっているんだと感じました。
そして、
これまでのやきものを作ってきた人たちの、
表現の試行錯誤を感じました。
これから、
私も試行錯誤して行動していこうと思います!
あと、
古武雄展は終わりましたが、
九州陶磁文化館。
ぜひ行ってみてください!

ということで、
今回は、古武雄を見て色々と書いてみました!
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
めちゃめちゃ遅くなりましたが笑
2018年10月6日~11月25日まで行われていた、
「古武雄ーふるさと大地の記憶」を見に行ってきましたので、
唐津焼と絡めたりしてみながら書いていこうと思います!
古武雄の特徴
古武雄の特徴的な色には大きく「白・緑・褐色」の3つがあります。
白は、
武雄で採取される白い土。
白い土を化粧土として刷毛で塗り、
その上にさまざまな文様が描かれます。
緑は、
銅を用いた釉薬によって生み出される、
鮮やかな青緑色です。
これによって、
それまでの鉄絵とは異なる華やかな色彩が生まれ、
「二彩唐津(にさいがらつ)」と呼ばれました。

この鮮やかな緑色で、
松や花、山や鳥など、
自然のものがのびのびと描かれ、
自然の力強さを感じられます。
古武雄を見ると、
当時の陶工の方々の新しい表現を探した様子、
日々試行錯誤されていた様子が感じられます。
日本国内だけでなく、
海外にも輸出された古武雄。
特徴や魅力、独特な技法など。
ここから少し細かく書いていきます!
大皿
まずは、大皿!
時は江戸時代。
日本では、口径が30㎝(当時の約1尺)を超えるような、
大きな皿の需要が高まり、
それまでの日本の陶磁器では作られてこなかったような、
大皿が製作されます。

これは、
大皿を大人数で囲み、取り分けて食事をする、
「宴(うたげ)」の文化の定着です。
武雄は、
大皿製品を得意としていて、
それらの大皿に、
さまざまな釉薬や白土。
この後に書きます「象嵌・刷毛目」などの、
さまざまな技法が使用されます。

鉄絵緑彩(てつえりょくさい)
次は、鮮やかな緑色の鉄絵!!
緑釉(りょくゆう)と呼ばれる、
緑色の発色をする釉薬。
これは、
国内陶磁の歴史では、奈良三彩に始まりますが、
部分的に使われていました。
現在みられるような、
緑釉を使った本格的な釉彩は、
17世紀の初めの織部に始まります。
※現在は、古武雄よりもわずかに早くでき始めたと考えられています
ですが、
織部と古武雄はかなり緑釉の使い方が違います。
濃淡をつけたり、柄杓(ひしゃく)で大胆にかけたり。
刷毛目との組み合わせで。

器も織部は変形鉢に、
古武雄は大きな皿や壺など。
それぞれ緑釉の使い方でも、
違って、特徴的です!
古武雄では、
緑褐釉(りょくかつゆう)や緑褐彩(りょくかっさい)。
これらは、
互いに褐色と緑色の対比が印象的!

この二色の色使いから
「二彩手(にさいで)」と呼ばれます。

ここに、
白い化粧土が加わり、
より鮮やかに引き立ちます!
白化粧土と刷毛目
次は、「二彩手」や描かれる文様を、
より鮮やかに引き立たせる、白い化粧土(けしょうど)。

古武雄の胎土となる土は、
褐色の暗い色調。
そのため、
表明を白い化粧土と呼ばれる土で覆い、
器に描かれる絵や文様を引き立たせる下地が作られます。

象嵌(ぞうがん)・三島
象嵌・三島とは、成形した後、生地が柔らかいうちに、
型で表面に凹凸をつけて、
溝を白い化粧土で埋めることで、
文様をつける技法です。

印花(いんか)と言われる技法は、
同様の技法で凹凸をつけて、
文様にする技法です。
朝鮮半島の陶磁器で広がった象嵌は、
日本の茶の湯に取り入れられ、珍重されました。
茶会記においては「みしま」「こよみ」として登場します。
※三島と呼ばれた由来は、三島(静岡県三島市大宮)の河合家が
発行する暦(三島暦)と象嵌模様が似ていることからそう呼ばれるようになったと言われています

当時から、
茶道具にふさわしいとされていたため、
九州各地の窯元では、
朝鮮のやきものの象嵌技法を応用した、
やきものが作られるようになります。
象嵌の文様は、
「唐草」「渦巻」「鶴」などもあり、
これらの文様は、朝鮮半島のものとは異なります!

これは当時の、
茶の湯の需要や茶人の好みに対応していったと考えられます。
また、
肥前陶器の象嵌模様の中で代表的なものは、
「鶴文(つるもん)」です!!

鶴の細かい部分まで、
鉄絵の具や呉須(ごす)で表現されています!
※呉須:やきものの染付に使う顔料
鶴が向かい合った「双鶴文(そうかくもん)」が定番。
ハンコを押したくぼみに、白い化粧土を。
そうすることで、
取の姿を表現します。

飛んでいる、または自然の中で遊んでいる。
そんな、
絵画のような表現も見ることが出来ます。
こちらの記事の目次、三島唐津から三島技法のことを書いてます!
唐津焼~種類と特徴~
貼花(ちょうか)
一般的には、やきもの本体と同じ土を使って、
型押しや手捻り(てびねり)で文様を作って、
それをやきものに貼り付けて文様にする技法です。
肥前陶器の中では、
甕(かめ)の肩の部分に施されたものがあり、
磁器にも使われた技法です。

また、
貼り付けた文様のみに、
白い化粧土をつけたものもあり、
特別な器の装飾に使われていたと考えられています。
白泥(はくでい)
白泥とは、白い化粧土を素地(器の本体)に盛り付けたもので、

「打刷毛目」が
規則的な連続した模様であるのに対して、
不規則で複雑な凹凸が特徴です!
白泥には、
貼り付けた貝の装飾や、
鉄絵緑彩の緑色で山並みを表現、
褐釉や緑釉を使って装飾したものなど、
自由で自然的な魅力があります!!

唐津焼・伊万里焼との関り
武雄の陶器生産は、16世紀の末から17世紀初頭に始まったとされ、
鉄絵を用いたやきものが生み出されている。
当時は、
古唐津と言われるものであり、
現在、古武雄と呼ばれるものの特徴はもっていません。
その後、
白化粧土や緑釉といった特徴が表れるようになってきます。
また、
古伊万里と古武雄のかかわりも深く、
呉須の使用は、古伊万里とのつながりを感じられます。
古武雄・古伊万里ともに、
大皿の高台の直径が小さいところが共通しています。
これは、
古唐津の大皿から受け継がれたものと言えます。
まとめ
今回、古武雄を見て、
結構独特なインパクトを感じて、
すごく印象的なやきものをたくさん見ることが出来ました!

結構長時間いて、
とても楽しかったです笑
また、
現在、古武雄と言われるものも、
唐津焼からの流れがあって、
古伊万里と兄弟のような関係。
そう考えると、
現在は、〇〇焼というような名前で区別されていますが、
大きな大きな歴史の流れの中で、
技術や人、思いや思考、努力。
そのようなものが、
独自の変化のきっかけになっていて、
そこに、
伝わった先の地域の特色や、
自然の環境、土。
そのような、
関わり合いの中で変化していますが、
流れの中でつながっているんだと感じました。
そして、
これまでのやきものを作ってきた人たちの、
表現の試行錯誤を感じました。
これから、
私も試行錯誤して行動していこうと思います!
あと、
古武雄展は終わりましたが、
九州陶磁文化館。
ぜひ行ってみてください!

ということで、
今回は、古武雄を見て色々と書いてみました!
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
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